易・賽・イーチンとは?
易の歴史
- 古代中国の人々は重要な決断のとき、神に祈るのと同じ態度で易占いにより回答を得てきました。
易経は孔子を含む三人の成人によって完成されたものです。
「易道は深し、人は三聖(伏義・文王・孔子)を更え、世は三古を歴たり」
易経は中国古典の四書五経からまとめられたものですが、日本では、聖徳太子の時代に遣隋使が易経を持ち帰り、平安時代には貴族たちにも広がり、江戸時代にはさらに盛んになります。易占いは武士から知識階層さらには庶民にまで、幅広く活用されてきました。
心理学者ユングは易の大家
- フロイトと同時代の精神分析学者ユングは、易の大家としても知られています。
ユングは自身の体験と研究により、易についてこう語っています。
「易があたると、そんなことは偶然だという人がいるが、易にかぎらず、我々は一般に予測できない事態を言い当てると、偶然という言葉を使う。フロイトも言っているように、言い間違いや読み違い、ど忘れなども偶然に起こるわけではない。易が的中するとまぐれだという意見に私は反対である。それどころか、私が体験した易の的中率は偶然の蓋然性をはるかに超えている。易において問題になるのは、偶然性ではなく規則性であることをわたしは確信している。」
易の構成
- 自然界は「天・沢・火・雷・風・水・山・地」の8つの要素により成り立っています。
卦は陰と陽の組み合わせですべてが表現され、陰陽の3つの組み合わせからなるものが、
八卦といいこれを小成八卦と呼びます。【2×2×2=8】
八卦と八卦を上下に重ねて構成されるものを大成卦といい64種あります。【8×8=64】
易占いの色々な方法
- 50本の竹の棒と算木で卦を得る方法…筮竹(ぜいちく)法。
8面体のサイコロで卦を得る方法…サイコロ法。
6枚のコインの裏表で卦を得る方法…コイン法。
64枚のカードで卦を得る方法…イーチンタロット法。
【 易は『神』の言葉かも知れない 】
ここで、サイコロに纏わる昔話を紹介したいと思います。
死の骰子(さいころ)
ドイツの帝室博物館に皇帝よりの御出品として「死の骰子」(Der Todes Wurfel[「u」はウムラウト(¨)付き])という物が陳列してある。
第十七世紀の半ば頃、この骰子(さいころ)をもって一の疑獄が解決せられたという歴史附の有名な陳列品である。
事実は次の如くである。
或一人の美少女が何者にか殺害せられたことがあった。
下手人の嫌疑は、日頃この少女の愛を争いつつあった二人の兵士の上に懸(かか)った。
その一人はラルフ(Ralgh)といい、他の一人はアルフレッド(Alfred)というた。
しかし二人とも身にいささかも覚えなき旨を固く言い張って、拷問までもして見たが、どうしても白状を得ることが出来ない。
そこで現帝室の御先祖たるフリードリヒ・ウィルヘルム公(Friedrich Wilhelm)は、この二人に骰子を振らせて、その敗者を犯人と認めるといういわゆる神意裁判を行おうと決心せられた。
荘厳なる儀式をもって、公は親(みずか)らこの神意裁判を主宰せられた。ラルフはまず骰子を投じた。輾転(てんてん)また輾転、二個の骰子は共に六を示した。合せて十二点。得らるべき最高点である。彼は少なくとも敗者となる気遣(きづか)いはない。神は既に彼の無罪を証拠立てたのである。
相手の有罪の証迹は次いで顕(あら)われることであろう。
アルフレッドは今や絶体絶命、彼は地に跪(ひざまず)いて切なる祈を神に捧げた。
「我が罪無きを知り給う全能の神よ。願わくは加護を垂れさせ給え」と、満腔の精神を隻手(せきしゅ)に集めて、彼は骰子を地に抛(なげう)った。
見よ、戞然(かつぜん)声あって骰子の一個は真二つに裂けて飛んだ。
一片は六を上にしている。一片は一を上にしている。
そして他の一個の骰子は六を示しているではないか。彼は実に天佑(てんゆう)によって勝ち得べからざる勝を贏(か)ったのである。
満堂いずれも奇異の思いをなして一語を発する者もない。
さすがのラルフも神意の空恐ろしさに胆を冷して、忽ち自分が下手人であることを白状した。
「これ実に神の判決なり」と、公はかく叫んで、直ちに死刑の宣告を下されたということである。
出典:「 法窓夜話 」穂積陳重